いつも篭っている共同室内の模様替えもしておいたことは前に話した。
物理的な事情からいえば、教室が東向きなので、
朝日の日差しが強いので、その遮光対策でもあり、
環境的にいえば、雰囲気づくりという意味もある。
また、単なる自慢という見方もある。


そこそこ綺麗な風景写真があれば、
美しいと感じるのが普通であるが、
見る人によって、それが異なる場合がある。


この風景は、私にとって、
思い出したくもないある事柄を想起させるものである。


切なくて、バカバカしくて、希望と絶望の狭間を心底味わい、
辛酸をなめたその鬱積した記憶の象徴となってしまった。
本当に哀しくて、自身が憐れな風景なのである。


何故、そうした風景を飾るのか、そして通常の人の見方と
異なるものを、敢えてこうした形にしたのか?


それは知る人ぞ知ることである。


私は、決して屈辱を忘れない、
人間なのです。


辞令交付

あれから1年経った。校舎へ向う道を再び歩くことになる。
1年という期間は長いようで短い。
2017年1月↓


2018年4月↓


今日は慌ただしい日であった。
晩に帰ったら、呼ばれて飲み屋に行った。
3月31日の研究報告は、いろいろな反響を呼んでいるみたいだ。
今年の桜はいつもの桜と違い、美しく感じる。

特別研究員採用内定辞退届

地理学教室内の模様替えをした。
これをするには理由がある。
強烈な朝日の直射日光除け。


さまざまなハリコ職人の私物を掲示している室内だが、
こうしたものも貼り付けている。
俺は相当意地が悪いヤツだ。
もうそろそろ外しておこうかと考えている。
今は学振ポータルサイトにて申請でき、書類も簡単にダウンロードできる。
1月26日に突き出された、再生紙で刷ったいい加減なボロ紙にはなく、
上質紙で刷って出しといた。

絵図と空中写真で見る堺の昔と今江戸・明治・大正・昭和

さかい利晶の杜で研究集会。
年度最後の研究報告を兼ねて小講演も行う。


この後、巡検をするのだが、
昼飯で浪花亭へ行く。


腹ごしらえをし、宿院頓宮から山之口商店街開口神社、堺北御坊を歩き、
堺旧市街地で内田家住宅を見学する。
専門家だけの巡検であったので、かなり深い現地調査ができた。