堺港の変遷(1928〜2016)


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昭和3(1928)年

【時事】
・明治36(1903)年:内国勧業博覧会開催(第2会場)・堺水族館開館
・明治39(1906)年:大浜海水浴場開場
・大正2(1913)年:大浜潮湯開業

【解説】
写真では大浜海岸から伸びる桟橋が見える。
堺燈台の周辺は海であり、堺大浜球場はまだできていない。
堺市立博物館所蔵の大正末期から昭和初期に発行された
絵葉書のような情景を空中写真から確認することができる。

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昭和17(1942)年

【時事】
・昭和4(1929)年:阪和電気鉄道開業
・昭和14(1939)年:室戸台風襲来
・昭和16(1941)年:真珠湾攻撃・太平洋戦争開戦

【解説】
室戸台風で被害を受け、大浜潮湯は打撃を受け、
大浜少女歌劇団は解散している。桟橋の姿は見えない。
大浜潮湯は昭和19(1944)年に閉館し、
戦争とともに大浜周辺の様相は一変する。
堺燈台の南側は埋め立てられている。
また、堺大浜球場と、その右側に現在の国道26号線の姿が見える。

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昭和23(1948)年

【時事】
・昭和19(1944)年:大浜潮湯閉館
・昭和20(1945)年:堺大空襲・日本敗戦・米軍進駐

【解説】
空襲により、龍神地区が焼け野原となっているのが見える。
従前のように龍神地区・大浜地区が歓楽街・歓楽施設としての
機能を喪失している姿がうかがえる。

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昭和39(1964)年
【時事】
・昭和25(1950)年:ジェーン台風襲来
・昭和28(1952)年:サンフランシスコ平和条約発効・日本独立
・昭和33(1958)年:堺泉北臨海工業地帯造成開始
・昭和36(1961)年:堺水族館閉館
・昭和40(1965)年:戦災復興都市計画事業終了

【解説】
臨海工業地帯造成により、大浜付近の海が埋め立てられている。
フェニックス通りの大きな道路がよく見える。
また、南海本線の路線が変更されて、龍神駅と堺駅が統合されて、
現在の堺駅周辺に集約される。
堺大浜球場の形が戦線期とは異なっている。

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昭和50(1975)年
【時事】
・昭和41(1966)年:泉北ニュータウン造成開始
・昭和43(1968)年:大浜灯台廃止(旧・堺燈台)
・昭和45(1970)年:阪神高速道路堺線開通
・昭和46(1976)年:第二阪和国道開通

【解説】
大浜公園は、道路で分断されている様子が見える。
大浜灯台は、工業地帯の中に埋没してしまっている。
旧・堺港周辺には民家などが建ち並び、堺駅周辺には操車場や工場がみえる。
土居川の色が茶色に変色している様子が見える。
高度経済成長期に伴う堺臨海部の工業化、水質汚濁などの公害が
激しかった様子がうかがえる。

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平成28(2016)年
【時事】
・昭和60(1985)年:南海本線高架化(七道-石津川間)
・昭和62(1987):阪神高速湾岸線開通
・平成元(1989)年:堺市制100周年
・平成8(1996)年:堺市中核市に移行・堺市立病院移転
・平成12(2000)年:龍神乙女像が復活
・平成18(2006)年:堺市政令指定都市に移行

【解説】
阪神高速湾岸線の完成以降、大浜公園の分断が解消され、
旧・堺港周辺が整備されつつある様子がうかがえる。
堺駅周辺も整備され、大型マンションやホテルが出現している。

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写真アルバム 堺市の昭和

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