レトロ家電と脱レトロ街


天神橋筋六丁目まで出向く。
くらしの今昔館の企画展「昭和レトロ家電展」の訪問が目的である。


前に学内の都市研のポスターで知っていたのだが、ようやく行けた。
展示物の撮影は不可であるので、資料として記憶に留めおくのみであった。
昭和20年代半ば〜昭和40年代半ばまでの家電製品の展示であるが、
主に昭和30年代のものが多かった。
占領期の需品の研究調査をやっていた自分にとってはよい勉強になった。
昭和30年代はどのような時代であったかというチラシも戴いた。

初任給の推移では、昭和28年で5,400円、昭和33年で6,300円、
昭和37年に11,000円と1万円台を突破し、昭和40年には14,400円となる。
平成24年の国家公務員高卒程度の初任給は140,100円らしい。
家電の需要と供給が、所得の上昇や生活の質の向上と質の変化、
一般消費者の継続的な消費行動と、それに比例する製造者側の
研究と技術開発というものを当時の家電製品の様子から見て取れる。
都市と農村の格差、公害、学歴社会などと負の面もあったが、
昭和30年代は上向き志向の時代であった。


その後、ひさしぶりに新世界の見物をしに行った。
今回は変化をよく感じる訪問であった。

全体的に新規建設が進んであるようだ。
東横インもほぼ完成していた。
写真屋のオッチャンは展覧会で臨時休業で留守だった。

新世界市場は派手になっていた。
この頃、新しい趣向を取り入れて商店街の活性化を目指している。




平日の昼間に訪れることが最近になってないので、
いつもはどうなっているのかは知らない。
まだ活性化の動きが始まる前の新世界市場は超レトロであった。
2007年12月に撮影したもの。

http://www.youtube.com/watch?v=UokZc0O8ixE
最近は変わった祭りもしているらしい。
「セルフ祭」。オモロイやんけ。

https://www.youtube.com/watch?v=I78NsofQQEo


場所を変えて、新世界日劇などのポスターが貼ってある看板を
見に行ったら撤去されていた。

2008年の4月の様子の写真があったが、長らくこうして看板があった。

これも撮影してて良かったと思う。

http://www.youtube.com/watch?v=lnn1fVCsO-k


新世界国際劇場は相変わらずの様子だった。



ジャン横に近いパチンコ屋が閉店して串カツ屋になっており、
ここにも行列ができていた。新世界の串カツ店の数がかなり多くなっている。

他に新世界ニューサウナが年末で閉店していたり(ラジウム温泉は健在)、
メインストリートの店が改装計画でシャッターが閉まっているのが
多かったりしていた。新世界も再び大きく変わるような兆しがみられる。
フェスゲ跡地のパチンコ屋は建物のデザインも規模も凄い。