泉州空襲

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泉州空襲に英軍機…堺・横山さん 米軍資料分析、解明


◇戦後71年 埋もれた史実

 太平洋戦争末期、米軍による攻撃とみられていた泉州地域の「泉州空襲」に、英国の戦闘機が加わっていたことを堺市の近代史研究家、横山篤夫さん(75)が突き止めた。当時の米軍資料などからの分析で、専門家は「知られていなかった事実で注目される」としている。(吉田誠一)

 「泉州空襲」は、1945年1月に岸和田市で被害が出たのを始め、同8月まで少なくとも11回で死者は計約60人と記録されている。

 戦争末期に列島各地を襲った本土空襲は、米軍爆撃機のB29が主体だが、仙台空港仙台市)では、戦時中に投下された不発弾について現地の市民グループが昨夏、「英国艦隊の艦載機が落とした爆弾だった」と解明した。

 日本史の元高校教師で長年、地元の近代史を研究する横山さんは、仙台の事例を知り、「『泉州空襲』にも英軍が加わっていたのでは」と考え、米国立公文書館の資料の研究者から、同館保管の英国太平洋艦隊の「戦闘報告書」のコピーを提供してもらい、分析を進めてきた。

 報告書によると、45年7月25日午前8時半、米英3空母から英軍戦闘機のシーファイアー、ファイアフライ各7機など5戦隊38機が飛び立ち、岬町・深日や加太(和歌山県)周辺に500ポンド爆弾を投下。船舶、波止場や工場を炎上させた。

 同28日には米軍機と英空母ヴィクトリアスやフォーミダブルから発進したファイアフライ7機など計52機が、午前と午後に同爆弾で深日の船舶などを狙って空爆したとの記録があった。

 横山さんはさらに、当時の府警察局の資料と照合。25日は「多奈川町(岬町)の川崎重工泉州工場を中心に小型爆弾が投下され、死者28、負傷者32」、28日は「多奈川町、川崎重工泉州工場、深日町で死者1、負傷者6、建物全壊10、半壊7」など、英国の報告書と符合する記載があり、攻撃は「小型機」主体と記録されていた。

 こうしたことから、横山さんは泉州空襲は、B29による大規模爆撃ではなく、英軍機も参加した小型機の編成によって行われていたと結論づけた。

 資料の翻訳などで、横山さんの研究に協力した大阪国際平和センター(ピースおおさか、大阪市中央区)の元職員で大阪教育大非常勤講師の常本一さん(58)は「英軍は、米軍に比べて戦力が劣り、基地がなく防空が手薄な岸和田のような地域を攻撃したのだろう。そうまでして日本攻撃に参加したかったことを裏付ける記録だ」と注目する。

 横山さんは「本土空襲の埋もれた事実がまだあるはずで、空襲の実態をさらに明らかにしたい」と、今後も研究を進める考えだ。

2016年08月10日 Copyright © The Yomiuri Shimbun
http://www.yomiuri.co.jp/local/osaka/news/20160809-OYTNT50266.html

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泉州空襲について調査したという記事。
こうした地域の事柄をコツコツ調査している人って居る。
NARA(米国公文書館記録管理局)の史料の発掘と分析は
戦時・占領・講和独立というおよそ10年くらいの日本現代史を
知る上ではやはり重要な対象になる。
堺空襲についても、よく分かっている部分もあれば
不明な部分もある。戦時期は日本側の史料が少ないので、
NARAでの史料調査で新発見もあるだろう。
これ、俺がやらなアカンことなんやけどね…。


仕事がフルにあって、帰ったのは夕方過ぎ。
もう1週間ほど登校していないので、明日くらいからまた本格的に…。