ある映画看板職人の引退

その昨日の衝撃メールというのが、気のなるところなので話そう。


映画産業が華やかなりし頃、特に昭和20年〜40年代では映画館前や広告塔には手描きの看板がよく掲げられていました。つまり多くの映画看板の絵師が、それぞれの技量を用いて描いていました。それが主流であり、それを生業とする職人がたくさん居たのです。
やがて、印刷技術の発達や、宣伝広告の方向性の変化に伴ってその数が激減し、現在では手描きの映画看板を見る事は皆無となりました。数年前に映画「ALWAYS三丁目の夕日」の影響もあり昭和ノスタルジーなブームが盛り上がっていた頃に、昭和の面影として注目される場面もありましたし、映画看板で街興しに取り組んでいる地域もあります。

しかし、その手描きの映画看板を今も見る事ができる機会がありました。大阪の新世界国際劇場と天六ホクテン・ユウラク座です。新世界は大阪市浪速区にある通天閣のある場所ですね。天六天神橋筋六丁目、日本一長い商店街と呼ばれる天神橋筋商店街の最北端にあります。
以前、私は新世界に近い所に勤務していた時があり、昼飯や夜の晩酌には、よく新世界に行っていました。独特の雰囲気がある街で、私は1年と数ヶ月を過ごしました。この新世界での経験は私にとって凄い価値あるものとなりました。
写真が趣味な私なので、よく新世界の風景を撮影していましたけど、そこで気になって継続的に撮影していたのが新世界国際劇場の映画看板でした。
2006年秋から撮り始めて、2009年春まで継続して撮影していましたが、市大に入って多忙さ故に撮影できない日々が続いていました。いよいよ態勢を整えて再び…という時に、看板職人の引退を知りました。

この事を知りえたのは、私が継続的に看板を記録していることを密かに応援してくださってた方から頂いたものなのですが、例の看板職人さん自身も、私が記録に残していることに興味をもたれていたようで、その事は私にとっても嬉しいものでありました。

大阪で、もしかすると日本で最後の映画看板職人の仕事ぶりが、もう見れなくなるのは残念です。今週の看板架け替えが最後となるそうです。