戦前戦後における都市の重心移動

今週末へ巡検へ行く、尼崎の資料を再編集していた。
担当するのは、国道43号線と旧尼崎港線である。
端的に言えることは…


1.伊丹〜尼崎の阪鶴鉄道という鉄道交通軸から阪神国鉄阪神国道
国道2号線)という横軸の交通網の発達。


2.そして、その交通線に沿うように都市が拡張と発展をする。


3.その結果、旧尼崎城周辺の市街は中心性を失っていく。


4.貨物支線の尼ヶ崎駅が尼崎港駅、神崎駅が尼崎駅へと名称変更。


5.事実上、国鉄尼崎駅が中心となる。


6.繁華街として残っていた旧市街も戦時中の建物疎開と空襲による被害で壊滅。


7.跡地は復興計画に基づいて、新阪神国道(国道43号線)の路線に決定する。


8.旧市街の分断と都市の中心の完全移動。



建物疎開と新国道建設案、そして空襲被害という政治的思惑と
偶発性史実による都市の景観変貌という研究報告があるのと、
経済発展と交通大動脈と外部不経済という結果。
そして何よりも、都市の重心の物理的変化。



こうした似たような事例は、いろいろあるだろうが、
堺市でも建物疎開と復興計画により、都市の中心性が移り変わる
という事例がある。宿院なんて典型的な例である。