尼崎築地地区復興事業


阪神大震災において、倒壊や火災による全消滅といった壊滅的被害を免れたが、
地盤沈下液状化、老朽からの建物の半壊が多かった地区が、
全域において、見事に新生復興したという典型的な場所である。
しかも、地域住民の意向や行政の段取りが上手くいったという、
地域復興の成功の典型だと評価されている。
土地区画整理事情と住宅改良地区事業がセットになって
復興(再開発)されたという他には例のない再建方法で事業が進んだ。


築地地区は、尼崎城下町の一部として歴史ある場所である。
戦後は国道43号線阪神高速による中心域との分断や、
公害問題などで、取り残されたような場所となった。
震災を期に、新生旧城下町住宅地として甦った。


決して、昔や震災前の景観や雰囲気が、完全にそのまま甦った訳ではないが、
土地や地域に対する思いが通じた形で甦った街である。
日本のどこでも災害は起こる。そうした中で、住みやすい街、
居たい街ということで進められた結果がここにある。



巡検をしていて、静かで整然としたいい街並みである。
何事も全てに完全という結果は無いが、事を進めるのに
どこで合格に近い満足点に近い事業をするにはどうすればいいかという、
災害復興でのまちづくりの勉強になる。
「ナントカづくり」つまり「ものづくり」とか言う言い回しが嫌いなのだが、
そうしてボカしたいような、いろいろな要素があるとして、
使ってもいいかとも感じる。
但し、技術方面で安易に「ものづくり」で括るような表現は反吐が出る。