ボイラー基礎の測量


第4合同部室は、昔はボイラー室であったことは述べた。
そのボイラーがどのように据付けられていたかを測量してみた。
黄色は本体、白色は基礎。青写真のボロボロになった図面から、
適当にだが線を引っぱってみた。
ボイラー1基の大きさは、縦6m余、横2m余、高さは現在の2階部分の床と
同じか、それより少し高いくらい。
このようにして北側にもう1基が入って合計2基が稼動していたようだ。

しかし、この後に別の図面が出てきて、合計3基入っていた時期があったらしい。
占領下、進駐軍のボイラーの需要への要望は強かった。
それはアメリカ文化・生活、そして軍施設の必需として、
給湯というものが極めて必要不可欠かつ重要なものだったということである。
特別調達庁の資料からの「湯水の如く使う」という使用について、
それまでの日本では考えられなかったほどという感想から伺える。
そうした施工・設備が現代の生活の質に影響を与えたようだ。
それが、高度経済成長期以降の日本の生活基盤の勉強になったと
言えるということもできるらしい。


断片的な資料だけなので、全容が明らかになるのは数年先だろう。
教授がコリャ〜5〜6年の仕事やなと言ってたのも、まんざら嘘ではないみたい。
この調査は、これまで触れられなかった戦前期の施設の概要、
そして占領下という調査しにくい時期のもであって、殆ど未開拓な分野である。
どちらかというと、大学史的には負の側面、悲運を語るものに傾くものと
なるから、あまり歓迎されないネタになるんだろう。
だが、戦前期の基本構想と現実、占領下での生々しい現実と、
進駐軍の常識を超えた要望に応えて(無理にでも)実現化しようとした
施設や設備に関する技術史的考察としては、十分な論文になるらしい。