戦前の堺の空中写真

占領軍関係の資料を国会図書館デジタルコレクションで調べていたら、
戦前期の堺市街地が空襲で焼け野原になる前の空中写真があった。
堺空襲は第1次〜第5次にあり、その中で第4次空襲(昭和20年7月10日)は
壊滅的なものであった。空中写真は第2次空襲(昭和20年6月10日)が
行われる前のものであるようだ(昭和20年5月28日)。



空襲前↑  空襲後↓



【出所】日本占領関係資料/米国戦略爆撃調査団文書(RG243)/損害評価報告書 (Entry 59) Damage assessment photo intelligence reports of Far Eastern targets filed by area and contain all available information on the area: Osaka ReporNo. 3-a(27), USSBS Index Section 7
http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/3984401


空襲前の堺市街地の空中写真、つまり戦前期の堺の空中写真は
様々な事情により簡単に見ることが出来ない。
取り合えず米軍が撮影したものだが、当時の堺の街並みがよくわかる。
現在の中央環状線の筋、大和高田線の筋は空地になっている。
これは建物疎開がおおよそ完了した様子を見ることができる。
しかしながら、その効果も空しく堺市街地は、北端の綾ノ町・旅籠町と
北東の柳之町・九間町付近を除いて焼けてしまった。
戦後復興により、新しい都市計画が行われ、建物疎開地は道路建設地に
転用される場合があった。これは尼崎を巡検した折に調査した事例と
何かと類似している。
堺は戦前戦後で空襲による歴史・地理的断絶があるものだと
常々感じている。こうした変化は、たった半年も満たない
短期間の中で
行われてしまったのである(よく調べると昭和19年からなので、おおよそ1年で堺市街地の戦前の町景観は喪失したことになります)。
こうした変化が無ければ、現在のような区画・道路・インフラは
無かったとも言えるのだがね…。

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