いつも篭っている共同室内の模様替えもしておいたことは前に話した。
物理的な事情からいえば、教室が東向きなので、
朝日の日差しが強いので、その遮光対策でもあり、
環境的にいえば、雰囲気づくりという意味もある。
また、単なる自慢という見方もある。


そこそこ綺麗な風景写真があれば、
美しいと感じるのが普通であるが、
見る人によって、それが異なる場合がある。


この風景は、私にとって、
思い出したくもないある事柄を想起させるものである。


切なくて、バカバカしくて、希望と絶望の狭間を心底味わい、
辛酸をなめたその鬱積した記憶の象徴となってしまった。
本当に哀しくて、自身が憐れな風景なのである。


何故、そうした風景を飾るのか、そして通常の人の見方と
異なるものを、敢えてこうした形にしたのか?


それは知る人ぞ知ることである。


私は、決して屈辱を忘れない、
人間なのです。