私が入学した訳(端的)

今日は端的に市大へ入学した経緯を語りたいと思う。


私は現役時代に大阪市大を受験した。
しかし結果は不合格。正直凹んだ。
合格発表の掲示板の記憶はよく覚えている。
確かボート部の勧誘で、受験番号を一緒に見て探してもらった。
ボート部勧誘さん曰く、
「…市大だけしか受験しなかったの?凄いね〜。」と、言って去る。

それから一浪して再び受験…しかし、またまた不合格。
滑り止めで別日程の地方国立大も受験していたが、不合格。
「関大か立命館でも受けたらどうやね?」と、
勧められた事もあったが、
経済的理由から私立は絶対無理!受験料も受験交通費も宿泊費も
入学金もバイトで何とか稼いだもんだったんでね。

それから社会に出て、働き始めた。
失意と落胆と進学できなかった心残りを振り払うように全力で働いた。
本当によく働いたと思う。社会的キャリアも上がっていったが、
本当に、本当によく働いたと思う。
本当にいろいろな人生の場面に遭った。
本当に本当に変化に富む人生模様であった。



(この間は話が長くなるので省略)



2008年(平成20年)の春だったか、新聞で大阪市大の
第2部募集を平成21年度を最後に募集停止するという記事を読んだ。

長らく働きながら、大学進学の希望は、何故かいつも心の奥底に
引っ掛かっていた。
『大学へ行ける最後のチャンスかも知れないな…』と直感した。
その当時、様々な仕事の事情で、このままのキャリアで独立するか、
また新しい場で活躍するか悩んでいた頃で、多忙だった事もあったが、
市大への受験申請を秋に決めた。
『落ちても受かっても、これで最後。何があっても悔いは無かろう。』と、そう思った。
結局、申請→受験→合格した。
合格者発表の時に、自分の受験番号を見た時は、正直嬉しかった。
即、実感は湧かなかったけど、段々と自分が大学生になる事を
実感していった。
(自分が浪人当時に進学できなくで落胆していた様子を知っていたので)友人達も驚いた。
当分の間、大和川から見るキャンパスを、遠くにも近くにも見える存在でした。【写真】

あれだけ切望した大学進学、しかも大阪市大(1部でも2部でも今の私には同価値)に
入学できるとは夢にも思いませんでした。執念です。

しかし、この未曾有の不景気では、仕事もおぼつきません。
長年のキャリアが名実共に効力を失ってしまった決定日から、
その一週間後に市大合格でした。
減免や奨学金の申請で苦慮しておるのはそのためです。
でも最後の最後まで、最後の人生の機会として、
最後の大阪市大2部学生として頑張りたいと思います。
大学進学、しかも大阪市大入学は我が人生の悲願でありました。

時計台で桜を見る時が来ようとは思いもしませんでした。
大学が自分の期待に応えてくれようがどうか、自分が実績上げて行けようかどうか、
そんな事は別にして、これからの新しい人生を
歩みたいと思っています。


もうそれしか、ないんですから…。