人生の機会費用

今日はいい天気やね〜。ほんの少しだけ春の空気を感じた。
気分よく学内へ向かうと、貼紙があった。昨晩に貼ったのかな?
学内のアチコチに貼られていた。

内容は左側。糊で貼ってあって剥がれないようにしてある。
こうした雰囲気が市大の特異なところで、他の大学では見られない風景だ。
つまり良くも悪くも、これくらいの隙があるのが市大の良さかなと思う。



今日は祭日だし、試験もあと1日ということで結構静かだ。
それにしても余り試験勉強等は進まなかった。
昨日はテンパリ過ぎたので少々疲れたんだろう。


機会費用とか限界効用とか選好性とか、経済学的の解釈を
血肉になるまで脳みそに落とし込むことはなかなか容易なことではない。
我々は知らず知らずに、そうした行動をしているのだが、
それを数式化、図式化するとなるとちょっと戸惑う。
況してや理論化するとなると、余計に訳がワカランようになってしまう。
だから、身近な事例を用いて計算したりしてやってみている。
回帰分析も興味があるデータだったんで、やってるうちに覚えてしまったんで、
何事も勉強は身近な事で当てはめてやってみることが理解の深化かも知れん。


例えば機会費用。2部で仕事と学業の両立を前提として、
それぞれの財や資源(勉強と給与)を限りある時間の中で考えた場合に、
どういう機会費用の計算ができて、もし個々にそうしたものがあって、
比較優位を考えた場合(トレードは現実的に不可能)、
どのようなものなるかな〜ということを暇つぶしでやったりする。
やればやるほど、自分自身の機会費用の非常識さに呆れる。
その反面、勉学と仕事の両立が現実世界の場合において、
最も最適なのがどういう状態なのかがよく分かる。



この前、こういうサイトを見つけた。
【博士の生き方】 http://hakasenoikikata.com/top.html
更なる勉学の道を歩んで行った人達の、現実と苦悩を知ることが出来る。
最近、俺の進路について大学院進学のことをよく聞かれる。
そんなに大学院について言ったのかな?多分言及したんだろうな。
院進学は教員免許の必要単位不足の危惧の件を予期して、
卒業後の様々な対策を練っていた事で大学院の進学も候補に上がっていた。
ただ、様々な用件、他人には分からない障壁があって、進学は難しい。
お金や仕事や学力や将来性などいろいろな現実が混在して、随分悩んでいる。
無論、勉強は面白いし、もっと進んでやってみたいという
希望があるのは確かなのだが、先のサイトを眺めていて、自分も同じジレンマに
陥っていて、大学に対するモチベーションの低迷期を迎えていると感じた。


今まで、想定外に学内生活は極めて良好であることが救いである。
単位も成績もよく取れているし、仕事も融通が利くし、
先生や学生には大変よくしてもらって嬉しいし感謝している。
ただ、自分と他の人に対して期待に応えられないというのが一番辛いのだ。


19時31分下校
20時11分帰宅