北野田に居た織田作之助


今度は所用で北野田へ行く。4年ぶりである。
しかし、ここも変わったな〜と4年前にも思ったが、
随分変わりだしたのは、2000年代前半からであった。




母校はこの辺にあって、通学途中でよくこの商店街を通った。
再開発で半分くらい削られて残っているだけだが、
今や日本一短いアーケード商店街になっている。
確か肥後橋の商店街が日本一短いと謳っているが、
実際には、もうコッチの方が短いだろう。


かつて隠れ人気うどん屋だった「やぶうち」は閉店している。
セルフであるが、もう味わえないかと思うと切ないな。
高校時代は、麺だけで可能な限りネギと天カスを載せて、
汁を隠れてオカワリして飢えを凌いだ。懐かしいの〜。
それで、かつての通学路」を進んでいくが、
いよいよ母校の校舎が見えてきてんだが…、
校舎がピンク色に塗られていて戸惑ったので撮影しなかった。
いつの間に血迷ったのか?我が母校よ…。



かつて北野田は、私鉄沿線の経営事業で田園都市開発されている。
大美野はその典型で、ロータリーのある放射状の区画や、
一風変わった高級住宅が並ぶ町並みから、その歴史が伺える。
少し出ると、大きい農家の家や田畑が広がる地帯は、今でも変わりない。



その北野田に織田作之助が居住していたということは、
高校入学時に知った。その住居を今まで訪れていなかったが、
今回初めて行ってみた。
改装されているが、天ぷらの旗がある建物がそれである。
YOUTUBEに、コンナ記録映像があった。

この他に「新しき村」という戦前期にあった建物が、
廃屋ながらあったはずで、探してみたが発見できなかった。


そして北野田駅へ戻る前に、友人の店を覗こうと思ったが、
その店舗の一角は、殆どシャッター通りとなっていて、
既に、お目当ての店も無くなっていた。


そして、堺東へ戻り、学内へ行く。
所用を済ませて下校する。卒業まで正味あと一週間となった。
21時55分下校
22時24分帰宅