専修免許状の憂鬱

早速、大学院生活は難航している。
今日は近代経済学の外書で理論を学ぶ講義。
英文はいいとして、自分の研究に対する心の余裕が…。
修論があって単位を取らなければならない事情は辛い。
況してや専修免許状取得のこともあると、尚更にアタマが痛い。


実は高校地歴の専修免許状取得の必要単位で、
今現在の提供科目だけでは、取得が当然無理だと分かった。
つまり選択科目にある一部の講義が開講されていない訳であり、
どうしてもらえるかは、教授会の判断次第となる訳である。
いずれにせよ、開講された科目全てを取得しなければならないという
完全必修モードになるだろう。


国は教員の質的向上を目指しているらしい。
長年、現場職に働いた経験があるが、あらゆる労働者の資質の
向上と涵養は、先輩の資質と指導力、そして現場での経験の積み重ね
を基本とした技術力の練磨と、モチベーションの確保だと思う。
待った待ったをされるような将来では、モチベーションも下がる。
もはや、専修免許状の存在も無意味に等しい。
(専修免許状取得者の一種免許状との給与差は、修士課程2年間の
空白部分を埋める措置という意味もあるらしい?)


兎に角、与えられたモノで効用最大化を図る(図らねばならない)のが、
俺の大学生活の宿命なのだろう。トホホ。