堺市堺区にある綾之町東商店街。
旧市街地の北端、阪堺線綾ノ町駅や旧紀州街道が通る立地にある。
昭和30〜40年代はかなり賑わった商店街であるが、
近年の例に漏れず、シャッター通り化している。
子どもの頃の記憶では、自転車では走れないほど人通りが激しく、
陶器屋、玩具店、大衆食堂、レコード屋があったり、公設市場もある
まさに近隣の市場としての機能を有していた。
聞き取り調査では、最盛期には毎日必ず3人程度の迷子が発生し、
買い物客も、宿院や浅香山などの遠隔近隣地からも訪れたとの事である。
昭和30年代には映画館もあり、まさに近隣の盛り場であった訳である。
バブル期までは、商店街として立派な機能を果たしていた記憶があるが、
それ以降は閉店閉鎖更地化の一途を辿った。
公設市場があった場所が更地になって、建売住宅になった顛末には、
それなりに衝撃を覚えた。つまり商店街に一戸建て開発。
商店街はなぜ滅びるのか?社会・政治・経済史から探る再生の道? (光文社新書)
- 作者: 新雅史
- 出版社/メーカー: 光文社
- 発売日: 2012/07/06
- メディア: Kindle版
- 購入: 1人 クリック: 23回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
- 作者: 足立基浩
- 出版社/メーカー: ミネルヴァ書房
- 発売日: 2010/04/01
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 15回
- この商品を含むブログ (5件) を見る
聞き取りでは、最近まで玉子屋さんをやっていた爺様から
過去に映画館があった話や、露天商主から最盛期の話を聞いた。
尚、露天主は市大と縁があるようで、レスリング部のコーチもしてたの事。
アメフト部の話も聞いたのだが、一体何者なのだろうか…。
あと外国人労働者の酷使について語られていた。
事情は分からないが、ここの近辺では1980年代後半から外国人労働者が
出現してきて、最初はブラジル、現在はペルー人が多いらしい。
3K(最早死語かも知れないがキツイ・キタナイ・キケン)の仕事を
専門的にやらされているし、生活設計も厳しいらしいので
何とかして欲しいというお話を伺った。
事情を見聞してみないとはっきりとは分からないが、
外国人労働者を日雇い感覚で見るのか、移住も視野に入れた
将来的戦力としての労働者として捉えるかで見方は違う。
確かにアホな経営者による劣悪な抽象零細企業は、
弱者の足元を見てコキ使うからなぁ…。
今日は論文指導のみ。
外書翻訳を頑張ってやって、明日くらいには何とか終えれそう。
21時45分下校
22時18分帰宅