ある写真館の廃業の続き


非常勤の勤務後に立ち寄る新世界の写真屋さん。
今月末に閉店なので、おそらく私がこうして訪れるにも最後であろう。
この日に行くと、NHKの取材班が来ていてカメラを回していた。
TVに映るかも知れんらしい。

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【新世界で90年 写真館に幕】
・2代目・曽和さん 人生の節目見つめ「家族同然」

 大阪・新世界で営業を続けてきた写真館「ニコニコプロフォト」
大阪市浪速区)が4月末、約90年の歴史に幕を下ろす。
浪速のシンボル「通天閣」の下、時代とともに変わりゆく街を見つめてきた
老舗写真館。2代目店主の曽和勝さん(69)は「ここで営業を続けて
来られたのが誇り」と感慨深げだ。(中谷圭佑)

 曽和さんの父・繁雄さん(故人)が、和歌山から出てきて同写真館を
開業したのは1926年。「通天閣があり、にぎやかだ」と新世界に店を構えた。

 店は空襲で焼失したが、戦後すぐに再開。活気を取り戻した新世界には
映画館や見せ物小屋が立ち並び、人であふれかえった。写真館も盛況。
正月には、家族連れらがスタジオの前に並んだという。
曽和さんも小学生の頃、父親が撮影するそばで照明の手伝いをした。

 曽和さんが、父の後を継ぐことを決めたのは大学4年の時だった。
自分のカメラも持っていなかったが、両親から「親孝行と思ってやってくれ」。
大学卒業後に大阪市内の写真館で2年半修業し、店を継いだ。

 客層は幅広い。作業着姿の労働者やサラリーマン家庭、
それに新世界の商店主たち。正月の家族写真や成人式の振り袖姿、
小中学校の入学祝いに七五三と、多くの客の人生の節目を撮影してきた。
「3代続けて撮りに来てくれる人もいる。家族と同じやね」

 近年はデジタルカメラスマートフォンで気軽に写真が撮れるようになり、
利用客が減った。7年前には大病を患って1年間休業した。
復帰したものの経営は厳しく、「この店は自分で最後」と、
7月で70歳になるのを前に決意した。

 閉店を常連客に知らせると、「これからどこに撮影を頼めばよいのか」と
駆け込んできた人もいた。曽和さんは「惜しんでくれる人がいるのが、
何よりもうれしい」と感謝する。

 一度焼失した通天閣再建に尽力したのが、繁雄さんら当時の商店主らだった。
だからこそ、簡単にはやめられなかった。多くの観光客でにぎわう新世界だが、
「生粋の新世界人はいなくなってきた」。
そう言って少しさみしそうな表情を見せた曽和さんは「大阪文化の発信地で、
さらに人情味ある街にしていってほしい」と願っている。

 5月からは、出張撮影などを請け負う曽和写真事務所を大阪市住之江区に開く。


2015年04月21日 Copyright © The Yomiuri Shimbun

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その後は同じく新世界にある喫茶「田園」で遅い昼飯を食う。
ここの店長とは最近になってよくお話しするようになった。
いろいろあってアイスコーヒーをサービスしてもらった。


いろいろあって一休みしようと思い、堺湊の犬吉で一杯飲む。