第4講 自分と2部

【滅ぶべくして滅ぶアナザーエディション】

過激な副題。今日は忙しくなるので今の内に書いておきます。


昼間仕事して夜間に通学するという事は、結構大変であると
前講で申し上げましたが、夜間でしか学業が続けられない
(昼間働かないと食ってけない)という事情がある人にとっては、
大学2部課程は有難いものであり、市大のように1部と
同じ正規の講義と課程を受けられる大学の存在意義は大きいです。


しかしながら最近の2部事情はというと廃止傾向にあります。
近畿でも和歌山大も関西大など2部の募集を停止・廃止しています。
だから大阪市立大学2部という公立大で独立した2部籍を設置する
大学が募集を停止し廃止するという事は、結構衝撃的だったでしょうね。



この前、丁度(ちょうど)休講だったんで、部室のTVで
2部廃止に関する番組を観ていました。
http://www.ktv.co.jp/anchor/today/2009_05_13.html#02
家計が厳しく向学心のある学生には切実な問題です。
これからそういう立場の学生、または進学を目指す高校生や
社会人はどうしたらいいかとなると…困惑しますね。


近年、大学全入時代・大学の法人化・予算の問題で
大学は改革していかなければならない要素、
社会の要請に応えられる大学の在り方を模索しているでしょう。
単純に言えば、合理化・適時適正化です。


2部の学生気質や社会のニーズも随分変わったてきたと思います。
2部が設立当時の理念や当時の社会情勢から変化し、2部生が
勤労学生・苦学生のイメージから遠く離れ、教育の機会均等が
学生から社会人に至るまで拡大している、所謂「生涯教育」の
実現に向かっているという時代の流れもあります。


例えば、市大大学院の創造都市研究科というのもその現れかと思います。
ここでは社会人に適したカリキュラムで実績を上げています。
高卒以上で社会人経験あれば入学受験資格も得られるコースもあるそうです。
全国にもそうした大学院大学のようなのを設置している大学も増えています。



まずここで、自分で考えてみたのは、
2部でないと無理だから廃止しないで欲しい。という意見と、
社会のニーズに合った生涯教育の場の提供。という方向性の
2つを極点にてそれぞれを述べてみます。


まず今の2部ですが、確かに向学心旺盛な苦学生は居ます。
ただ、全員が苦学生ではありません。苦学というより、
それぞれに思惑や目的があってこそ2部に入学していると
言ったほうがいいでしょう。夜間大学生=苦学生と考えるのは
現代ではミスマッチでしょうね。でも苦学生は苦学しています。
大学も以前は5年制だった課程を4年制にしたりなどして
より有効に学生生活を過ごせるように考えたのでしょう。
また市大は1部・2部という差異を問題にしないよう、
履歴にも2部と書く必要も無いという見解のようです。
何故なら1部と同じ質、ほぼ同じ単位修得課程だからです。
でもまぁこれは…2部という肩書きは、正直いろいろありますよ。
多分今は無いと思いますが…。
2部という事で区別する会社や組織があったら、そんな所は
無視しましょう。そういう所は後でトラブルの元です。
逆に2部出身で凄い資格やキャリアで武装したら、注目度満点です。

話は脱線しましたが、2部が勤労する学生のため、経済的に苦しい
学生のための場という括(くく)りだけでは現代では着いて行けない
部分もあるようにも思います。
でも切実な気持ちとして、市大2部は本当に有難いですよ。
授業料は1部の半額、質のいい授業、そして貴重な大学生活。
自分にとっても、無論これからの希望ある人にとっても
できたら無くならないで欲しいと思ってますよ。


次に社会に開かれた大学教育という事についてですが、
学位があろうがなかろうが、社会で会得した経験を元に
学問を究めて、それを大学という機関が支援し、
人・大学・社会に貢献できる大学院大学などという機会は、
私が現役時代には、全くなかったような教育システムかと思います。
今、あちこちの大学で社会人を多く招き入れようとする傾向があり、
向学心のある社会人にとっては嬉しいのではないでしょうか。
ただ、少々疑問点もあります。
大学教育では、その学問を学ぶための基礎学力が重要で、
やっておかないと後々恥ずかしい事になりえます。
大学院大学がどのくらいの基礎学力からの講義なのかは
調べていないので分かりませんが、卒業すると修士の学位が
与えられる事を考えると、どうなのかなと…。


社会人は、その経験から裏打ちされた応用力と積極性で
高等教育の場であっても自らの実力を発揮できますが、
それだけでは通用しない、学問に対する素直な協調性も
必要だなと、社会人として大学に居る自分が最近よく感じる事があります。
ある事象があり、それを精査し、理論的に証明するのが、
高等教育機関たる大学の学問だというのは、今も昔も変わらないと思います。
社会経験とは学問の場では「諸刃の剣」にもなりえます。



さて、2部・大学院大学、この双極する間を
また違った方向の切り口から探っていくと、
それぞれの在り方を考える疑問が浮かんでくるような気がします。
拙い証明で申し訳ない。


また自分の感想ですが、これから大学という所も変わるでしょう。
私が産まれる前は学生運動、現役時は受験戦争、そしていまは全入時代
これから数年、数十年経ったら凄く変わるんでしょうね。
大学は本当に学びたい人のためにある場所であるよう願いたいし、
幾らでもチャンスとモチベーションを発揮できる場に変わって欲しいです。
妙な学歴ロンダリングの温床にならないよう希望するだけです。


私は2部生、そして仕事しながらまだまだ基礎学力の復帰に
追いつけてない真っ只中の学生です。でも何故か楽しいです。
何故楽しいのか…それは多分、覚悟できちゃったんでしょうね。
最後の2部学生として本分を尽したい…とかね。



大阪市立大学2部に栄光あれー!!!