デモクラシーな乗り物


終業後、学内へ。
昨日降り積もった雪も殆ど無くなっていた。
借りた本を返しに先生の研究室へ行く。
また飲み会しましょうという事と、興味があるんじゃないかなという事で、
熊野の観光関係の論文を見せてもらった。帰宅後にDLした。
なかなか良い春休みの課題ができたな。

その後、山岳部部室で寛ぐ。
ゼミ関係の戦後世界経済史を読んでた。
先輩の申すところ、経済学部生の間では噂の本?という逸物。
オーソドックスに経済学のいい勉強になるなと感じました。


まだ、最初の章だけしか読んでませんが、
その中で、日本の終戦直後から高度経済成長の時点の概要もあった。

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自動車は、乗っている人を匿名にし、プライバシー意識を高める
作用があるため「デモクラシー」と親和的な乗り物だ。
自分や親しいものとだけの自由な空間を作り、人々を私的な世界の殻に
閉じ込め、公共的な配慮や関心を薄める。
自動車は現代の「デモクラシー」を象徴する乗り物なのだ。
(P37抜粋)

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90年代まで自動車は若者にとってステータスであり、自空間演出の
典型的な生活アイテムだった。
かつてオートバイもクルマへの段階的アイテムとして、
また技術進化と豊富なラインナップで活況を呈し、バイクは若者の
自意識を具現化するシンボルとして輝いていた。
バイクやクルマは正しくデモクラシーでありシンボリックなものであったのだ。

しかし、今日若者のクルマ離れ、また概して日本国民の自動車に対する
興味の弱体化、必要度の懐疑的意識さえ取り沙汰されている。
(これは地域性や生活との密着度とは例外として)
この状況を見て、バイクやクルマに対しデモクラシーやシンボリックな意識を
無くしたとするならば、何故無くなったのか?その意識は何処で
どう具現化されているのか?


本では自動車やデモクラシーを贅沢品としての豊かさ、大衆化と位置付け、
それが公共から意識を乖離する政治性と論じている。

深く考えると面白い。

21時54分下校
22時27分帰宅