授業して紐を替える

今日は模擬授業と、教職の講義が最終日である。
模擬授業は「バブル経済と日本社会」。
やはり授業は日々慣れていないと上手くできないが、
実習も終了済みで、ここは社会経験も活かせた感もあってか、
まずまず思い通りには進んだと思う。
自前の資料は、やはりインパクトがあって有効なネタだった。




バブル景気は1986年(昭和61年)12月〜1991年(平成3年)2月の
およそ4年3ヶ月間を指す。絶頂期は1989〜1990年である。
その時の出来事のひとつとして昭和天皇崩御、すなわち
昭和から平成へ移ったのである。
平成の年度はバブルから、どれくらい経ったかを示す年にほぼ等しい。
また消費税導入は1989年4月1日からである。



関西新国際空港の着工。バブル期に計画され建造された
巨大な施設や建物は現在でもたくさん存在する。



土地や株への投機は、実体経済から乖離したもので、
市場にも大きく影響した。
住宅価格の高騰は、サラリーマンの住宅需要にマッチしない事例が
数多くあった。この住宅価格は1億1,405万円であった。



食料品はどうだろうか。価格は現在よりも若干安い。
高度経済成長期の絶頂期(1968年・昭和43年)と
バブル期、現在と比較すると、現在の市場価格にかなり近い。
因みに大学卒の初任給は、それぞれ約3万円・17万円・20万円である。
それに産地表示が殆ど無い。この頃にも外国産食料品は輸入され、
市場に出回っていたが、生活上の意識としては薄かった。
当時は衣料・電化製品・食料品も日本産が常識化していた。
現代はその反対で、外地生産・多国籍メーカーの乱立・輸入品は
当たり前な時代と判断できる。
バブル期に中国産って考えられなかった。
自動車やバイク、家電製品については毎年モデルチェンジと
高級化のオンパレードだった。


以上のことからすると、バブル期は失われた10年の引き金と
なったこともあったが、現代生活に通じるインフラの整備、
生活水準の上級化があって、その延長線上に現在があるものといえる。
バブル期は、決して遠い昔の話ではなく、その証拠を誰でも経験し、
調査し、現代を規定する上で重要な時代である。


あと…
よく聞かれる質問(疑問)で、なぜこのような資料を仕入れることが
できたのかというと、個人的な蒐集癖が幸いしている。
1年で数品でいいから、トピック的な新聞や雑誌をポイッ!と
押入れのダンボールに入れておけばいい。
最初は面倒だが、10年、20年経つと、強力なネタになる。
まさか、自分もそうして蒐集した資料が活躍するとは
思いも寄らなかった。人生、先々のことは本当に分からない。
その頃には、学校現場の中堅とて活躍している社会科教師ならば、
天下無敵の授業を展開することができるであろう。
授業に生徒の関心を引き寄せ、自発的に考えようとする機会を
作ることは非常に難しいが、授業後に質問に来る学生には嬉しかった。


さて、それから院の宿題を本格的に進める。
その前に、第4合同部室のシャッタの紐を取り替えておいた。
マメな性格なんです。