昨日借りた学情の本を読んでた。
世界史通論の小論文は合格点なので、適当に手直しすればいいだけの話だが、
もう少し極めて見たいと思っていたし、先生からの指摘も興味深いものが
あったんで、来々週の最終提出のために読んでいるのだ。
俺が扱っているのは中世期の死生観であり、そこから欧州と日本との比較、
結論的に現代社会の生と死の問題点について自論するという内容である。
小池寿子の著作を紹介されたが、俺も科学史の先生も知らなかった。
学情には数冊置いてあったので、取り合えず読んでみたのであった。
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死者たちの回廊―よみがえる「死の舞踏」 (平凡社ライブラリー)
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死の舞踏つまりメメント・モリの記述も豊富にある。
一言で昔は、死と接する機会が多かった。
特に中世期は疫病、戦乱、飢餓などの混乱も多く、その上に社会秩序が
複雑怪奇に変化して行った時代であった。そうした中で当時の人々は、
死をどのように見つめて解釈していったのか。そして死と相対にある生を
どのように考えて、時代を生き抜こうとしたのか。
中世は人々がそれまで改めて考えてこなかった人間とは何かという問いを、
生と死などの境界を存在させながら追求しようとした時代であったように思う。
奇妙に人間臭くて、分からないことだらけのこの時代は好きである。
現代は死を忌避する社会である。死および死体を目に触れることすら稀で、
死は克服すべきものとしての対象として科学技術に後ろ盾をしてもらっている。
我々の未来は常に明るく前向きである(あるべき)というのが信条である。
而して、現代の死生観はどのようなものになっているのだろうか。
死を想うことがどうして生に繋がるのかという問いを
中世から学び取り、現代と照合して問題提起していくかがミソだな。
人はいつか必ず死ぬ。
どういう生き方をし、生き抜いていくか。
あのAppleのSteven Jobsも死を想え的なスピーチしてたな。