滅ぶべくして滅ぶ


散髪へ行く途中の商店街でこのようなイベントをやっていた。
堺の与謝野晶子つながりで京都から来てくれたようだ。
与謝野晶子の実家は、この商店街の近くにあったんだが、
戦間期の混乱と空襲、復興区画整理により、その場所は消滅している。
こうした例は幾つもあり、昔の堺と今の堺の歴史景観の断絶を引き起こした。


今さら述べるまでもなく、どこの商店街も消滅への危機に直面し、
再生への手立てを打っているのだが、やはり厳しい状態であるのは変わりない。
そこでこんな本を見つけた。

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

商店街はなぜ滅びるのか 社会・政治・経済史から探る再生の道 (光文社新書)

商店街の歴史は意外にも浅く、昭和初期くらいからの都市部の人口増大による
無秩序な生活形態を打開する方法として商店街が生み出された。
ばらばらの生産および販売を集合させ専門化し、
大きな消費空間を誕生させることで街のまとまりを作ろうとしたのだ。
しかし、高度経済成長期が過ぎるに従い、商店街は没落の道へ向かう。
新しい消費志向、新しい販売形態、個人や家族の生活様式の変化に伴い、
それに追従できない商店街はかつての隆盛を維持できなくなった。
この商店街盛衰の経緯を戦前の大家族、家内工業から
近代家族、核家族という家族構成の変化と日本型政治の消費空間と
自由競争にシフトした販売方法の流入という変化の結果と捉え、
その観点から「滅ぶべくして滅ぶ」と見る。
その歴史的な流れから再生への道を探ることも視野に入れている。
商店街が誕生したのが大正・昭和初期、滅びが始まった年を
昭和49年(オイルショックセブンイレブン参入)としている。

滅ぶべくして滅ぶものをどう再生させるかという難問は、
ウチの2部にも言えることなのだが…。