底力

今日は金曜日の振替授業だが、午前だけ出て午後は無し。
鍵も何処に行ったかもかも分からぬ開放状態の院研究室で印刷をし、
例の大学史資料の報告書の再査読をお願いしに行った。


あと2部サー協残務関係で、保管してあるコピー用紙、
しかも卒論・修論・博論の正式印刷に打ってつけの上質紙(B5)を
サービスで経済学部事務に寄付した。(3,000枚)
有効利用していただくことを切に希望する。
しかし、2部事務室や1部・2部生や経済学部に供出しても、
まだまだある2部サー協の備品…底無しである。


あと気になる2部サー協存廃に関わる情報を仕入れていた。
昨年度の今頃は重い書類を作った記憶があるのだが、
まだ何の音沙汰もないような気配だ。
昨年度はピーピー言われてやってたなぁ〜。
今の俺の業務は破綻している2部サー協事務の掲示とお掃除。

今の第2部の学生数は68人である。
来年度はその半分くらいが残るかも知れない。
第2部は最後の卒業生を送り出さない限り、課程としては
存続するのであるが、2部事務室も2部サー協も
どこまで今のままで残るのかはまだ分からない。


コツコツやっている大学史資料の調査で、
第2部課程についての文献資料から分かることのメモ…

              • -

第2部(夜間)課程は1950年(昭和25年)から始まった。
当初は成績でも優秀な学生が多く、1部・2部合わせて
首席が2部に居た事もあったという。入学試験で
合格のトップが2部生であったことは、よくあったらしい。
そもそもの第2部設置の理念による「勤労学生のための学びの場」という
様相を高度経済成長期まで呈していたが、
安定成長期になる70年代あたりから、その理念に沿う学生が減少、
あるいは2部そのものの求める学生の質が変化していった。
それは学力や偏差値、またはその他の理由での選択肢による入学生が
増加していったようである。


これらは大学史資料や様々な教授からの伝言によるものだ。
しかしながら、学業と労働を「重点を置くのが昼なのか夜なのか」という
昼夜開講制に近いような選択観念も持っていて、
入学した動機が様々であるという学生が存在したという事実は、
私自身が2部課程に居て知り得た経験である。


第2部は、理念との乖離や事務・教務の業務責任課題、
有効な授業が行える2部課程の在り方を模索し始めたのは、
2000年代前半頃からである。こうした経緯から5年制から4年制への移行、
社会人教育の場としての大学院創設があったようだ。
それから、第2部廃止についても検討する委員会もあり、
様々な議論の上で、平成20年度に廃止決定と告知を行い、
平成21年度が最後の学生募集となった。
経営的な問題などは触れないが、2000年くらいからの10年間の
各大学での夜間課程廃止は、高等教育改革の趨勢であったようだ。
但し、変わらず存続している大学や逆に拡充しようとする大学、
まして夜間課程のある大学が共同で入学説明会を開くという
事実もあり、今後の展開が気になるところである。

http://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000031.000004505.html

              • -


この後の市大第2部の経緯は、当サイトを読めば件の如しである。
私が公で語る(残す)第2部資料に関することは在学した4年間だけである。
それ以前のことについては資料すらなく経験も無いので残せない。
恐らく第2部の完全消滅になっても、記念誌や石碑ひとつ残すことは
ないだろう。そうした懸念で、2部サー協の資料が大学史資料室へ
預けられるのが何よりも不幸中の幸いであるように思う。


2009年に2部の一部の学生が廃止問題について抵抗していた。
その苦労話を時々聞いたことがある。
いろいろとあるもんだなぁ〜と感じた。
この戦、所詮は負け戦であることは仕方が無かった。
在学中によく覚えている光景があって、自分なりに一矢報いる何かを
やりたいと常々考えていたが、ようやくその時期が来たかのように感じる。
俺は何もしてあげらなかったけど、このくらいで勘弁してほしい。
随分マニアックなネタになるんだけどね。