上野芝向ヶ丘住宅地2


上野芝向ヶ丘住宅地は昭和初期に阪和電気鉄道(現・JR阪和線)が
沿線住宅開発経営を行った場所である。
当時、私鉄の沿線住宅開発が旺盛であり、阪和電鉄もそれに乗り出したのだ。
上野芝向ヶ丘地区が第一弾で、上野芝駅西側の霞ヶ丘も第二段として
住宅開発を行っている。今でも堺市内の高級住宅街のエリアになる。


分譲開発当時は日本建築協会が協賛し、モデル住宅の設計を
コンペ形式で応募をし、それに選定された住宅を実際に建造し、
住宅博覧会を催しながら、売出しを行うというものであった。
よって一部で残る古い家屋は、洋風・和洋折衷のシャレた住宅を
よく見ることができる。


そうした住宅では、占領軍の将校専用の住宅として接収された経緯を
もつものが幾つかある。
上野芝向ヶ丘地区では、10件ほど接収されたようだが、
先生と確認できたのは4〜5件くらいであった。
そのうち、当時のまま残っているのは1件であった。


霞ヶ丘では当時の家屋じゃないかと思われる物件が数件あったが、
向ヶ丘で既に取り壊された当時の家屋が多いようだ。
中には長屋風民家も残っていた。


全体的に静かで落ち着きのある住宅地であった。
丘陵地にあるので、見晴らしの良いポイントからは、旧堺市街地を
望むこともできる。堺にもコンナところがあるんだな〜。


因みに堺市内では高級住宅街というエリアが幾つかある。
上野芝向ヶ丘・霞ヶ丘、東区大美野、堺区向陽町、諏訪ノ森、浜寺などである。
こうした住宅街の誕生は、戦前期であり、その開発も現代とは異なる。
また関西随一の高級住宅街である芦屋や帝塚山と比較しても、
その成り立ちと経緯は異なる。類似した点としては、地区についての
自治という観念が強いことである。



最近、向ヶ丘では公共施設のことで、いろいろあるようだ。
住民のものか、あるいは財団のものかという議論である。
両方の言い分と現実を見ないと分からないが、
最近はこうした問題が多いようだ。