大阪市立大学の地下施設

大阪市立大学には地下道がある。
地下道といってもトレンチ(溝)で建築学的にいうと、
いろいろな配線や配管をまとめて通す共同溝のようなものである。
そのトレンチに入れる機会があったので潜ってみた。

大阪市立大学は1933(昭和8)年から1934(昭和9)年にかけて、
住吉区杉本に移転してきた。本館地区は1934年に完工している。
このトレンチは、その頃からのものである。

内部は少ししゃがんで歩けるくらいの広さである。
奥に進むにつれて背が低くなり、配管ももつれた状態で這い回っている。
かなり迷路状態である。

配管も蒸気管・電線管・温水管・上下水道管とあり昔のも残っているようだ。
本館地区竣工時は、ボイラによる蒸気暖房をし、
占領期(市大は敗戦後に接収されていた)の温水供給設備があって、
そのための設備管も、ここを這い回っていたはずである。


かなり奥まで進んで、最終的にはサポートセンター中庭近辺まで
行けたようだ。さらに行けそうな感じもしたが、そこで撤収する。
途中で、ネコ?の白骨死体現場を発見。南無阿弥陀仏(-人-)

引き返して、一号館地下と、旧ボイラ室(第4合同部室)方面へ行ってみた。
一号館地下には行けたが、旧ボイラ室へは途中で瓦礫状になっており敗退した。

以上で、本館地区にはこうした地下道が存在していることを確認できた。
地上に上がって、別の配管施設を見学した。
これは荏原製のモーターと渦巻き式ポンプが組み合わされた
真空ポンプ機構のようだ。
消防用なのか、昔の温水配給用なのか分からない。

市大の深部、別の側面を見学できて研究としてはいい収穫であった。
引き揚げた戦利品は鉄パイプのホルダーと100枚余りの現場写真。