豊臣秀吉の遺体

2012年となりました。
来年の今頃は…と思うと切なくなるのですが、
残された大学生活を大切に過ごしていきたいと考えています。


テレビもない部屋で過ごす今日は、全く以って正月モードではなかった。
読書での疑問や新聞などの時事系で仕入れた情報について調べいてた。
昨年は大阪城によく訪れていたので、豊臣秀吉について…。
ところで彼の墓って何処にあるんだ?ということで調べてみると、
京都東山の豊国廟というところにあった。
徳川家康が実権を握った江戸幕府開府の折に当時の廟は破却さて、
長らく荒れ放題だったようだ。
明治期になって復興しようと工事したら、秀吉の棺が出てきたらしい。
(明治から江戸幕府との優越性を示すべく、徳川に滅ぼされた秀吉や、
新田義貞楠木正成が注目された。逆に朝敵と目される足利尊氏や、
無論のこと徳川家康も良く扱われなかった。)
当時の発掘資料が公開されていないし、発掘技術も発達しておらない時代で、
非常に気になるところである。
寛永寺の徳川家墓所の発掘では、随分良好な資料が取れており、
我々もその様子を読むことができる。

骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと

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どういった形で現れたのか不明だが、
そこから発掘された骨は巨大な五輪塔に安置されているという。
裸一貫で天下人となった秀吉だったが、最期の姿も波乱であったようだ。

そのついでにいろいろ調べていたら、岡野友彦という研究者の
著作に興味を覚えた。「源氏長者」とは何なんなのか?ということなど。
今度、学情で読んでみよう。

源氏と日本国王 (講談社現代新書)

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家康はなぜ江戸を選んだか (江戸東京ライブラリー)

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