嘘か真か


この大学に来て8年目。お茶飲みながらシクラメンと一緒に
こうして一号館を眺めるとは、2部生の頃には全く予想もしなかった。
そういえば、一号館に入るのも随分御無沙汰になった。


一号館の120か121だったか、天井の隅に飾りの模様がある。
今のところ、当時は職員向け空間(控室・食堂)に使われていて
そのためのデザインだと解釈されているようだ。
しかし、職員のためのアレか?と思い調べたら、
設計図ではそう表記されていた。しかし、いろいろな図面を見ると
教室の使用状態が変化している。
設計段階と建造時、竣工以降の使用目的は異なることがあるので、
どうも怪しい…。


なお、占領軍の接収されていた頃、すなわち軍病院でもあった時代の
一号館の地下室は遺体安置場であったという噂がある。
しかし、あの急な階段と、別の出入口から進入するとしても、
あの通路の狭い角を担架を担いで曲がれるのかな?
遺体安置場は、資料室にあるGHQ関係資料から
今の野球場スタンドの裏にあった木造建物になっていたらしい。
皮肉にも学徒出陣で戦死した学生ために建立された
戦没記念碑のある場所とほぼ同じである。


田中記念館前には立派なメタセコイアが生えている。
これっていつから植樹されているのか?
大学HPの施設の説明に依れば…

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メタセコイア(あけぼのすぎ)は、もと本学理学部教授、故 三木 茂 博士が第三紀植物遺体から昭和16年に命名された植物である。
それまでは、セコイア(常緑樹)の遺体と思われていたが三木博士が落葉樹と見抜かれた。
第三紀(約7千万年前〜約百万年前)までは、日本を含む北半球にかなり広く分布していたもので、第三紀末の気候変動で絶滅したものと考えられていた。
しかし、昭和20年中国四川省磨刀渓で現存個体が同国の林務官 王 氏によって発見され、その種子がアメリカへ渡り苗木に育てられた。昭和24年我が国第1号のメタセコイアアメリカのチェネー博士から贈られ皇居に植えられた。昭和25年メタセコイア保存会へアメリカから苗木100本が贈られ、日本各地に植樹され本学理学部附属植物園にもその内の1本が植えられた。
この田中記念館の樹林は昭和32年に本学理学部附属植物園から苗木を移植したものである。


https://www.osaka-cu.ac.jp/ja/academics/institution/tanaka_hall/photo

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田中記念館の建設は確か昭和60年代末だったような気がする。
その敷地の造園あるいはメタセコイアも昭和30年代からのものなのか。



あと、戦前に竣工した建物は、一号館(旧学部本館)・二号館(旧予科校舎)・
サポセン(旧図書館)・書庫だけではなく、
第4合同部室(旧学部暖房汽罐室)・車庫(自転車置場)・
ゴミ集積場と倉庫(旧スタンド)がある。
スタンドは占領軍の遺構ではない(戦前期の写真にチャンと写っている)。


そして、第1体育館の武道場はかつて室内プールであった。
温水プールであったという噂もあるが、その設備の仔細が発見できていない。
恐らく後に温水化するという計画であったらしい。
当時のシャワーとかの給湯は、今は無き旧予科高商部暖房汽罐室からの
熱源を使用した思われる形跡は図面で見た気がする。


嘘か真かという確認は、資料室に居ても悩ましいことだ。