原風景とは何か?

この前、犬吉のマスターと世間話をしていて、「まんが日本昔ばなし」が出た。
お互い何かしらの思い入れがある番組であった。
1975年(昭和50年)〜1994年(平成6年)の19年間の長きに渡り放映された。
そう言えば、俺の家に数話を生録画したビデオテープがあったと思い、
探してみたら見つかった。

1986年(昭和61年)〜1988年(昭和63年)の期間、
一話も欠けることなく当時の放送を録画していたものである。
CMは抜いているのだが、時々その懐かしい〜CMが挟まっていたりする。
番組のお話は全1471話(新聞等では1468話)であるらしい。
ビデオに保存されているのは157話分であった。全体のおよそ10.6%である。


YOUTUBEで上がっていたのが削除されたり、市販のDVDでも
すべてを網羅している訳ではないので、貴重といえばそういう代物と
なってしまった、俺の記録癖の成せた資料ブツである。
無論、犬吉のマスターは大喜びで、今度見せろと言っていた。


よく日本の原風景であるとか、日本人の心の風景ということを
すべての人に共通する心象風景として取り上げることがある。
個々人の場合、それは小さい頃の記憶や、学生時代の記憶であったり、
我々とか日本人という括りであると、伝統的文化的というような
歴史的な風景に当てはめられる場合があるだろう。
それも記憶当時の様相、心象として残る経緯で、その風景は
プラスなイメージやマイナスなイメージにもなることがある。
戦争の荒廃した風景も、田舎で過ごした平和な風景も、
その対象を記憶の風景とする原風景なのである。

しかし、その普遍的な共通する風景、象徴とする風景という場合、
後者の歴史的風景であることがある。
まんが日本昔ばなしが日本の心の風景と揶揄されるのは、
そうした日本の文化や風土味わうことのできるという意味で、
位置づけられているのだろう。
だが、自分にとってはそれがそれだけの単純な意味での原風景では
ないと考えることきがある。
誰もが昔ばなしに頻繁に出てくるような農村や田園地帯、
山や海に隣接した、動物や植物と四六時中接触するような生活環境に
居た訳でもなく、また経験したことも希であろう。
全ての人ではないであろうが、昔ばなしの風景を原風景と考える要素は
別にあることが考えられるはずである。
それは土曜日の19時からという夕食時の時間帯に家族で観る
お茶の間の日常の生活環境が、共通した昔ばなしへの印象を
共有して、そこに原風景という記憶を増幅していったのではないかと
いうことも考えられるのである。


三丁目の夕日の映画が人気だった頃、その昭和30年代の風景を
原風景であるとか、心の風景とした傾向もあった。
その反面、アンチノスタルジアとして昭和30年代の現実を直視して、
現代人のアイデンティティを疑問視する対抗意識も現れた。
事細かに原風景や心象風景というものを吟味するよりも、
そもそも原風景というものは現実に存在していない、後から肯定された
内的観念からの生成物と割り切って考えれば、原風景とは何で、
どのようなもので、どんなものが適当なのかということは無意味かも知れない。
しかしながら、その原風景というものが、何かしら歴史や文化、
時代の流行や政策に関わりがあるのはなかろうかと最近思うようになった。


原風景というもの、残すべき自然や生活観環境というキーワードで、
世界遺産や歴史的景観、伝統文化の置かれた様々な問題に触れられる。
まんが日本昔ばなし」が終了し数年経つが、それでもそこに見出そうとする
心の原風景あるとするならば、それは一体何であろうかという問いを
追求していくのも悪くはないと思うのだが…
「君〜それは心理学だよ!」と教授から注意を受けることは必至である。