近現代における堺遊郭史(巡検)

堺のような所にも遊郭のような場所は存在していた。
赤線青線の整理前後にも存在した場所、存在していた場所がある。
まず堺旧市街地南にあった乳守を巡検する。




最後の写真の臨江寺には乳守大明神という祠が祀られている。
乳守は室町期からの盛り場であったが、時を経るごとに衰退していったようだ。
戦前期の吉田初三郎の鳥瞰図にも乳守遊郭の場所が描かれているが、
正確にどういった盛衰を辿ったかは不明であるし、詳しい研究もない。
乳守遊郭は、格式が高く地獄太夫の伝説も残るという歴史あるものである。
現在はその面影は皆無である。恐らく戦前期、戦中期に完全廃業して、
戦後は宅地化の波にのまれて現在のような町並みになったのだろう。



次に南海本線堺駅にある栄橋・龍神あたりを巡検する。
ここは居酒屋やビジネスホテルが多い。






今までに様々な聞き取りを行ったところでは、1980年代後半まで、
何らかの営業はあったらしいが、現在は完全廃業である。
戦前期は大浜に料亭や水族館、海水浴場、レビュー(歌劇)もある、
堺おろか大阪で屈指の歓楽街を形成していたが、
1943年の室戸台風による被害や戦中戦後期の閉鎖などで、
歓楽街としての勢いは衰微し、昭和30年代の臨海部の埋立てなどで、
地勢が一気に衰退してしまった。
戦争・空襲・災害・経済拠点の移動で、戦前と戦後では、
区画さえも全く変化してしまった南海堺駅周辺地という訳である。