資料からみる市大の超近現代史

最近、電車に乗る事が多いので車内広告をよく見ている。
その中で大学の広告が非常に多いことに気付く。
少子化と大学間競争などという時代の流れなのだろうが、
どの広告も興味がそそられるよう工夫されているし、
その分だけ大学も必死なのだろうと感じる。
オープンキャンパスや特待生制度など、現在では当たり前なものだが、
このような傾向になったのは2000年代初頭から、
15〜20年前までは、素っ気無いもので…
来たければ、来れば?

…というような感じだった。
それでもみんな必死で受験戦争に挑んでいたのだ。


もうじき資料室に納める2部サー協資料で、貴重なものは
スキャンして保存するようにしている。
およそ20年前の大阪市立大学のアピールは、どのようなものだったか。




昔は教養部というものがあり、そこで2年ほど般教三昧して、
専門分野で学習するというシステムだった。
こうした明確な教養課程と専門課程とが分離しているのは、
東京大学とかごく一部の大学だけである。



大学図書館はサポセンにあった。




経済学部要覧


文学部要覧


この頃は、第1部4限・第2部2限という合計6限。
現在のような時限になったのは、2部が5年制から4年制になった頃か?

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第1部1限目 09:20〜10:50
第1部2限目 11:00〜12:30
第1部3限目 13:20〜14:50
第1部4限目 15:00〜16:30

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第2部1限目 18:00〜19:30
第2部2限目 19:40〜21:10

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この頃の受験料・授業料は以下の通り。

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受験料:第1部・11,500円 第2部7,000円
入学料:(大阪市民特権) 第1部・90,000円 第2部45,000円
     (市民特権無し) 第1部・210,000円 第2部10,500円
授業料:第1部・252,000円 第2部・126,000円 

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この当時の第1部の授業料は、現在の第2部授業料(267,900円)より安い。
20年くらい経つと物価も変動するのだが、この頃はバブル経済
一歩手前の時代なので、他の大学との比較や連動とも関係があるだろう。
バブル期の住宅価格は、土地高騰と資産効果の余波で非常に高値で
あったが、スーパーの広告とか見ると、そんなに大幅な変化は無い。
1990年の電化製品はモデルチェンジが頻繁で、VHSデッキも
7〜10万円という値が続いた。ITバブルの頃はPCが20〜30万円という
頃があったが、現在は10〜20万円未満という幅かな?
物価はそれぞれの分野で異なるのであろう。
高度経済成長期とバブル期、そしてバブル期と現在とでは、
成長の質が違う。


因みに、他の資料を当たってみたら、当時の在学者数の統計もあった。
昭和55年の第2部学生の総数は1,192人で平成16年は1,236人。
2009年(平成21年)の最後の入学生の頃は774人。現在は70人程度である。


もっと調べてみた。

1970年(昭和45年)の新聞記事。
この頃は学生運動も激しい時代で受験関係でいろいろあったようだ。
東大入試で暴れる学生・受験欠席が目立ち、国立大で1〜2割の欠席率。
求人募集の要項には戸籍謄本・身上書(釣書)持参の事。
あとその中に、市大2部関係の事件簿があった。

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入試中に出火 大阪市
【大阪】
三日午後三時十五分ごろ、大阪市住吉区杉本町、大阪市立大杉本町校舎
本館東側の二部サークルボックス付近から出火、同木造トタンぶき平屋の
ボックス約百五十平方㍍を全焼した。
この日から入試始まっており、同学者では商・経・法・文学部の
三千二百人が受験中、本館では約千人が出火当時三限目の数学を
受験していたが、終了時刻を一部延長しただけで大きな支障はなかった。
朝日新聞:1970年3月4日 東京朝刊)

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この後に、旧ボイラー室を改装して2部専用サークルボックス
したんだろう。それが現在の第4合同部室である。