人の死の境界


今日は仕事を切り上げて学内へ行く。
内職した後に学情で篭る。
所用を済まして、講義に出る前に
学生支援課で記念祭の打ち合わせに顔を出す。


1限目「道徳教育の研究」。
生命や環境についての倫理観を道徳教育でどう活かすか。
どちらかというと経済史よりも生命倫理環境倫理について
随分と文献を読んだせいもあって、二項対立のような
答えの出ない正否のジレンマは、通常の授業の単元と違い、
今少し工夫が必要な分野となるだろう。
脳死は人の死なのかどうか、ラザロ徴候にみられるような
まるで生きているかのような脳死状態の人間の動作は、
確かに科学的に割り切ると「人の死」なのだが、
それがそう合理的に割り切れるとは限らない。
改めてラザロ徴候についてWikiで調べていたら、
府立大の森岡先生が大阪市立大学教授となっていた??
(閲覧最終確認日 2012年11月6日)
森岡先生の見解はコチラ。
http://www.lifestudies.org/jp/noshiho01.htm


2限目「地理学概論Ⅱ」。
都市の拡大、郊外化の類型。
小林一三の宝塚に代表される鉄道経営戦略は典型的な成功例である。
南海でも近鉄でも似たような郊外地経営をしているが、
歴史的にあまり目立たない。
南海も大浜で歌劇や温泉(潮湯)や水族館や海水浴も提供した
宝塚に劣らずの時代があったが消滅してしまった。
今日は生命経済学の関係で学んだ事が多かったな。


22時05分下校
22時38分帰宅