「地の目線」と「鳥の目線」

 いろいろ考えたのだが、日本地理学会の春季大会(東京都立大学・3月)は、
研究グループからのお呼びもなく、東京での発表ということでも…

旅費の工面やいろいな事情があって無理だろうと思ってスルーする方がいいか。

 例の大阪公立大学発掘調査の原稿は提出済だが、
考古学の見方とこちらの専門分野の見方(あとデジタルの云々)で、

どうなるんだろうかと思っている。

適度に修正などしながら完成ならよいが、これからの私には余裕がない。

はやり、「地の目線」と「鳥の目線」は違うんだろうね。


 市大から公立大、コロナや資料室閉室云々で、

資史料の調査が、以前よりできないという影響は極めて大きい。
 占領軍の接収期間に建造された「映画館」については、
それなりの図面や細かな設備配置図があり、
遺構から当時の復原は可能であるが、事細かな内容や
地理学的(かなり広範囲での位置確定)ができないと、解けない不明点もある。
遺構から見られる、映画館地下遺構の重要な視点は…

1.占領軍映画館は、どのような建造物であって、

 発掘でどのような部分が明らかになったのか?

 

2.発掘現場で発見された用途不明の地下構造物は、何なのか?

 

3.戦前、戦後直後、接収期において、どのような土地改良がなされ、

 それが各時代と、どのように重なりつつ、各箇所が何であったのか?

 遺構と資料図面とは比較検討できるが、用途不明の地下遺構について私が専門的に推定されることは…

 

1.占領軍市施設とは、関係が極めて薄い

 (給水・配管・電線等の設備とは判定できない)。

 

2.用途不明の地下遺構は、明らかに占領軍施設と軸線がズレており、
 活用された資料が無いので、戦前期の遺構といえる。

 

 では、戦前期の遺構として、どのように考えられるかと言えば、


1つ目は、日本海軍の接収による防空壕としての活用?

2つ目は、戦前期大阪商科大学高商部・予科の敷地での何らかの記念物か
目的を有した構造物?

3つ目は、大阪商科大学以前よりあった貯水槽か何か?

 

…である。

 

 大学史資料室とも離れ、長らく訪れもなく、現場巡検は2回だけなので、

深くを探究することができない。